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商品詳細

ロベルト・バッジョ 2003〜2004 セリエA ブレシア 実使用ホームユニフォーム

販売価格: 100,000円 (税込)
[在庫なし]
ロベルト・バッジョ 2003〜2004 セリエA ブレシア 実使用ホームユニフォームです。サイズXL,弊社より保証書が付属いたします。

イタリア代表
バッジョはW杯イタリア代表においての活躍が目立つ一方、欧州選手権にはキャリアを通じて縁がなかった。1988年11月16日オランダ戦でイタリア代表デビュー。1989年4月22日ウルグアイ戦が初ゴール。イタリアW杯、アメリカW杯、フランスW杯に出場し、3位、準優勝、準々決勝進出と、いずれもベスト8に入った。ちなみに3大会の敗退はいずれもPK戦によるもので、バッジョは3大会ともPKキッカーを努めている。

1990年イタリア大会
1990年の地元開催では当初はスーパーサブ的存在であったが、グループリーグ第3戦目のチェコスロバキア戦において、中盤から単独ドリブル突破を仕掛け、ディフェンダーを次々と抜き去ってゴールを決めた。この得点は、大会のベストゴールのひとつと数えられ、バッジョはイタリア代表の新たな旗手として世界に名を知られることになった。バッジョ自身のサッカー人生にとっても間違いなくハイライトとなるゴールのひとつである。しかし当時は、同じサブメンバーからついには大会得点王になった”救世主”サルヴァトーレ・スキラッチほどは注目されなかった。それだけ、スキラッチの活躍は眩いものであった。順調に勝利を重ねて迎えた準決勝。相手はマラドーナ率いるアルゼンチンであった。この試合、なぜかビチーニ監督はバッジョをスタメンから外し、変わって不調に陥っていたジャンルカ・ヴィアリを先発させる。その時のヴィアッリの発言である「ハードな試合にはハードな男が必要なんだ」の発言は余りにも有名。 結局イタリアはアルゼンチンに1-1に追いつかれた後、PK戦で破れてしまい、バッジョを先発させなかったビチーニ監督に非難が集中した。フル出場した三位決定戦のイングランド戦ではピーター・シルトンの致命的なミスを付いて先制点を記録し、さらには決勝点となるPKを誘い(彼はキッカーを大会得点王のかかったスキラッチに譲った)、幻に終わった試合終了間際のゴールの基点となるなど、存分に持ち味を発揮した。

1994年アメリカ大会
バッジョが出場した3大会で、最もその存在感を示したのは1994年のアメリカワールドカップであることは間違いない。ヨーロッパ予選では、イタリアの10番、まさにエースと呼ぶにふさわしい活躍でチームを本大会出場に導く。さらには前年の1993年にバロンドールを受賞していたこともあって、周囲の期待は大いに高まっていた。ところが本大会直前に右足に怪我を負ってしまう。一抹の不安を抱えたまま、ついに1994年ワールドカップを迎えた。

不安は現実となり、予選グループ初戦を落としたイタリアは、1勝1敗1分けで辛うじて決勝トーナメント進出(当時の規定でグループ3位ながら救われた)。気温40度を超すピッチで「ゾーンプレス」戦術が機能しにくかったことが苦戦の原因だが、特に無得点と精彩を欠くバッジョへの風当たりは厳しく、地元メディアはジャンフランコ・ゾラへの交代を唱えた。さらに屈辱的だったのは、第2戦ノルウェー戦でペナルティーエリア外での故意のハンドの反則をしたGKジャンルカ・パリュウカが退場処分となった際、アリゴ・サッキ監督が控えGKルカ・マルケジャーニの投入のためにバッジョをベンチに下げたことである。このとき、バッジョはサッキに対して「狂っている」と漏らしたといわれる。試合後にサッキは「(足を怪我して)走れないバッジョを人数の少なくなった状況では使いづらいから」と説明したが、エースと監督の信頼関係は微妙なものになっていった。

サッキは1人の力に依存する方法に否定的ではあったが、チーム内は徐々にバッジョを中心とした攻撃態勢が整いつつあるなど意識統一が明確となっていった。しかし決勝トーナメント1回戦のナイジェリア戦でも先制を許し、反撃の切り札で投入したゾラが退場処分となり1点を追い掛ける苦しい展開になる。しかし、試合終了直前の89分、ついにバッジョが劇的な同点弾を決め、延長戦でもPKを沈めてエースの真価を証明した。同点弾は冷静にゴール右隅を狙ったバッジョらしいシュートで、地元新聞は「アズーリを帰りの飛行機のタラップから引きずり下ろした」と見出しを打って賞賛した。

その後も、眠りから醒めたようにバッジョはゴールを量産した。準々決勝のスペイン戦でも再び終了直前にカウンターから決勝点をあげて、2-1で勝利。準決勝のブルガリア戦でも続けざまに芸術的な2得点を挙げて2-1と勝利した。決勝トーナメントの準決勝までの3試合でチーム6得点中5得点、どのゴールも試合を逆転・決定するもので、酷評から一転して救世主扱いとなった。しかし、準決勝で右足を再び痛め、決勝への出場が危ぶまれた。

決勝のブラジル戦はバッジョとロマーリオのエースFW対決(大会得点王争い)が見所のひとつであった。灼熱のようなむせ返るほど高い気温の中、バッジョは強行出場したものの精彩を欠き、試合はワールドカップ決勝史上初のPK戦となった。ブラジルがリードを保ったまま最終キッカーであるバッジョの番となるが、彼はゴール左上にはるか高く打ち上げてしまう。これによってイタリアは優勝を逃した。このPKには大きく分けて3つの見解がある。ブラジル、イタリア国内(世論)、そしてバッジョのものである。第1にブラジルでは、バッジョのシュートは空高く吸い込まれていったことから、同じ年に悲劇の死を遂げた同国のアイドル、「アイルトン・セナの手だ」というもの。第2にイタリアでは、「筋肉疲労と極度の緊張、暑さからだ」というもの。 そして最後にバッジョの見解であるが、「仏陀からの究極の問いかけである」というものである。ちなみに、バッジョは未だ答えを見つけることはできておらず、さらにはあの出来事をまだ夢で見ることも幾度となくあるという。このとき、腰に手をあててうなだれるバッジョの後姿が撮影された。この一枚は、これまでの数多あるスポーツに関する写真の中でも最も美しく、最も儚い写真であると評する声が多い。

大会MVPこそロマーリオに譲ったが、バッジョは悲劇の英雄としてサッカーファンの胸に感動を刻んだ。しかし、イタリアを決勝まで導いた原動力であるにも関わらず、PK失敗をとりあげてバッジョを標的とした批判もなされた。 後にサッキ監督がバッジョのスタメン志願を「チームに不利益を招いた」と非難し、しばらく代表から遠ざかる結果となった。

1998年フランス大会
1998年フランスワールドカップではデル・ピエロに10番を譲ったが、新たなエースとして期待されたデル・ピエロに代わり、大会で活躍したのはまたしてもバッジョだった。2得点1アシストをマーク。まず初戦チリ戦で先発出場。最初からチリが押し気味に試合を進め、イタリアが守ってカウンターを狙うゲームとなった。10分、まさにそのカウンターが見事に決まった。マルディーニからのゆうに50m以上あろう距離のロングボールをバッジオが完璧なコントロールでダイレクトでスルーパスを走りこんだビエリに通しアシストを記録、これはまさにバッジョのうまさが光った場面である。その後追いつかれるが、バッジョ自らPK誘い、4年前の因縁のPKを決めてトラウマを払拭。この時、彼の頭にアメリカでの出来事が蘇ってきたとのこと。準々決勝のフランス戦では途中出場し、延長後半に決定的ともいえるボレーシュートを放つ。難しい体勢からながらも全盛期のバッジョを彷彿とさせる一瞬であったが、イタリアにとっては惜しくもボールはクロスバーを越えていった。結局、イタリアは3大会連続PK戦敗退という失望を味わうが、今回最後に失敗したルイジ・ディ・ビアジョを優しく慰めるバッジョの姿が印象的であった。


ポジションはセコンダプンタ(セカンドトップ)またはトレクァルティスタ(トップ下)。重心の低いドリブルはスピードとテクニックを兼ね備え、1対1では得意の間合いになるとDFをさらりとかわしていく。ボールを無理にこねる癖もなく、球離れの悪さはない。シュートは隅をつく技巧的なキックを持ち味とし、GKの手の届かないポイントを落ち着いて狙うのが特徴である。ボレーキックなどボールに合わせる場合も、強さよりも正確なミートで蹴りこむ。

プレースキッカーとしても一流で、FKの精度は非常に高く、バッジョ自身が最も尊敬する元ブラジル代表のジーコをして「バッジョのFKは見事という他ない、もし同じ時代にプレーしていたなら教えを乞うよ」と言わしめた。

ここ一番の勝負強さも持ち合わせており、代表、クラブのいずれもバッジョの存在を印象づける得点が多い。現役最終の2003-04シーズンには、センターフォワードタイプではないにもかかわらずセリエA通算200得点(史上5人目)を挙げるという偉業も達成した。

/タイトル
/ クラブ
ヴィチェンツァ
セリエC1 1984-85
ユベントス
コッパ・イタリア 1995
UEFAカップ 1993
セリエA 1994-95
ACミラン
セリエA 1995-96
/個人
バロンドール 1993
FIFA最優秀選手 1993
英誌ワールドサッカー選出世界年間最優秀選手 1993
英誌ワールドサッカー選出20世紀の偉大なサッカー選手100人 28位 1999
オンズドール 1993
ブラヴォー賞 1990
FIFA100 2004
ゴールデンフット賞 2003
イタリア代表通算得点記録 歴代4位
セリエA通算得点記録 歴代5位
他の写真
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