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ミシエル・プラテイニ 1985年 実使用スパイク

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ミシエル・プラテイニ 1985年 実使用スパイクです
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★1980年代を代表するサッカー選手の一人。愛称「Le Roi」は直訳すれば「王」だが、日本では「将軍」と意訳されることが慣例化している。

・トヨタカップ
同年12月8日、ヨーロッパ代表としてトヨタカップに出場し、アルゼンチンのアルヘンティノス・ジュニアーズと対戦。試合を終始リードしたプラティニは、後半コーナーキックのチャンスにおいて、胸トラップから右足アウトサイドのキックフェイントでボールを浮かせ3人のDFのマークを外し、そのまま反転して左足でボレーシュートを放ちゴールネットに突き刺した。プラティニは最高のパフォーマンスを見せたとの確信からガッツポーズを繰り返し、チームメイトも彼に駆け寄り祝福したが、線審はオフサイドフラッグを掲げていたためオフサイドと判定され、幻のゴールとなった

この時、実況を担当していた日本テレビの舛方勝宏アナウンサーが発した「プラティニゴール!スーパーゴール!ビューティフルゴール!」の名台詞や、オフサイドと判定された直後に芝生の上で寝そべり、頬杖をついて判定に抗議する姿は強い印象を残した。試合は2-2の同点のままPK戦までもつれこんだが、最後のキッカーとして登場したプラティニが確実にシュートを決め、ユヴェントスをヨーロッパ勢としては初のトヨタカップ優勝に導いた。また、プラティニはこの大会のMVPに選ばれている。近年、フランスの日刊紙リベラシオンに掲載された作家のマルグリット・デュラスとの対談において「(幻のゴールは)生涯で最も美しいゴールであった」、「自分の選手としてのピークは、1985年の12月(この試合が開催された年月)」と述べている。

フランス代表
・1970年代
フランス代表としては、1976年3月27日にチェコスロバキア戦で代表デビューを果たした。この試合でFKから直接ゴールを決めて代表初得点、この試合限りで引退が決まっていたアンリ・ミシェルの花道を飾った。同年にはフランス五輪代表としてカナダで開催されたモントリオールオリンピックに参加。準々決勝まで進出したが、この大会を制した東ドイツの前に敗れ去った。

1978年2月8日、敵地のナポリで行われたイタリアとの親善試合において、名手ディノ・ゾフを相手に2本のフリーキックを決めると(試合は2-2で引分け)ヨーロッパ全土にその名が知れ渡るようになった。1978年にはワールドカップ・アルゼンチン大会に出場、結果的に1次リーグで敗退したがアルゼンチンやイタリアと接戦を演じ、プラティニは次代のスター候補として高い評価を受けた

ワールドカップ・スペイン大会
プラティニは1980年からは代表チームのキャプテンを務め、名実共に中心選手となっていった。しかし1981年のワールドカップ・スペイン大会予選では1974、78年大会の準優勝時のメンバールート・クロル、ヨハン・ニースケンスらが残るオランダと同じ組に入る厳しい組み合わせとなり、最後まで縺れ込んだが、同年11月18日、ホームのパルク・デ・プランスで行われた直接対決では、プラティニのFKなどで2-0でオランダを下し予選を突破に導いた。

翌年の本大会ではプラティニを中心にアラン・ジレス、ジャン・ティガナ、ベルナール・ジャンジニらのテクニシャン達を中盤に揃えたポゼッションサッカーで大会を席巻。守備には難があったものの準決勝にまで駒を進め、準決勝で西ドイツと歴史上に残る死闘を演じ3-3からPK戦で4-5で敗れた。3位決定戦でポーランドに敗れ4位となったものの、20代中盤と選手として円熟期を迎えたプラティニを中心としたサッカーは、同じく、この大会を席巻したブラジルと共に高い評価を得た

欧州選手権フランス大会
プラティニを語る上で最も外す事が出来ないのは1984年の欧州選手権である。地元開催でサポーターの期待を一身に集めたチームは初戦に難敵デンマークを1-0で下し、ベルギーを5-0、ユーゴスラビアを3-2で下し1位でグループリーグを突破、準決勝のポルトガル戦は苦しい展開だったが延長戦の末、プラティニの逆転ゴールで3-2で退け、パルク・デ・プランス競技場で行われた決勝のスペイン戦は2-0で下し、初の欧州チャンピオンに輝いた

プラティニはベルギー戦とユーゴスラビア戦の2試合連続ハットトリックを含む毎試合得点の通算9得点で得点王の活躍、また彼をサポートするアラン・ジレス、ジャン・ティガナのテクニシャンに加え若いルイス・フェルナンデスが中盤の守備を担当し弱点を補強[11]、これらの選手で構成される中盤は他を圧倒し、マスコミやファンはシャンパンサッカーと讃えた。プラティニが満面の笑みでアンリ・ドロネー杯を頭上高く掲げる姿は大会を象徴するシーンとして現在も目にする事が出来る

ワールドカップ・メキシコ大会
ユヴェントスとフランス代表における活躍で1983年から1985年まで3年連続で欧州最優秀選手(バロンドール)を受賞するなど、まさに絶頂期にあった。これらの成功でワールドカップ・メキシコ大会での優勝を期待されたが、プラティニ自身は脚の状態がおもわしくなかった、また予選では格下の東ドイツやブルガリアに敗れるなどピンチの連続であった。

1986年の本大会では、決勝トーナメント1回戦で前回優勝国のイタリアを2-0で下し、準々決勝でブラジルと好勝負を演じ1-1からPK戦でプラティニはPKを外したものの4-3で勝利した。しかしこの試合で総ての気力を使い果たし、準決勝では良い所無く西ドイツに0-2で敗れた。西ドイツには前回大会でも敗れており、プラティニは雪辱を果たすことは出来なかった。

・プレースタイル
ゲームメーカーとして有すべき視野の広さ、足元の優雅なテクニックに右足インサイドキックから繰り出す芸術的なフリーキック、得点感覚、どれをとっても「将軍」という愛称に相応しいものだった。選手時代の記録と実績、それ以上に人々の記憶に残るプレーの数々で今も強烈な印象を残している

また、ゲームメーカーとしての能力だけでなく、両サイドに流れたりペナルティエリア内に積極的に進入して得点を決める、現在でいう1.5列目やトップ下と形容されるプレーも得意とした。

フリーキックに関しては1976年の代表デビューとなったチェコスロバキア戦、1981年のワールドカップ・スペイン大会予選最終戦オランダ戦、1985年のワールドカップ・メキシコ大会予選最終戦ユーゴスラビア戦、1984年の欧州選手権決勝のスペイン戦など勝負の懸かった重要な試合で得点を決めた事から彼の代名詞となっている。

主なタイトル
1976年 フランス・フットボール選定フランス年間最優秀選手
1977年 フランス・フットボール選定フランス年間最優秀選手
1978年 クープ・ドゥ・フランス 優勝(ASナンシー)
1981年 リーグ・アン優勝(ASサンテティエンヌ)
1981年 クープ・ドゥ・フランス準優勝(ASサンテティエンヌ)
1982年 クープ・ドゥ・フランス準優勝(ASサンテティエンヌ)
1983年 コッパ・イタリア 優勝(ユヴェントス)
1983年 UEFAチャンピオンズカップ 優勝(ユヴェントス)
1983年 セリエA 得点王(16 ゴール)
1983年 バロンドール受賞
1984年 セリエA 優勝(ユヴェントス)
1984年 UEFAカップウィナーズカップ 優勝(ユヴェントス)
1984年 UEFAスーパーカップ 優勝(ユヴェントス)
1984年 セリエA 得点王(20 ゴール)
1984年 バロンドール受賞
1984年 世界最優秀選手(ワールドサッカー誌)
1985年 UEFAチャンピオンズカップ 優勝(ユヴェントス)
1985年 トヨタカップ 優勝(ユヴェントス)
1985年 セリエA 得点王(18 ゴール)
1985年 バロンドール受賞
1985年 世界最優秀選手(ワールドサッカー誌)
1986年 セリエA 優勝(ユヴェントス)
1991年 ワールドサッカー誌選出・世界最優秀監督(フランス代表)
1999年 20世紀の偉大なサッカー選手100人 5位(ワールドサッカー誌)
2004年 FIFA 100
2004年 ゴールデンフット賞(all time legend)
代表歴
1978年 ワールドカップ・アルゼンチン大会: 一次リーグ
1982年 ワールドカップ・スペイン大会: 4位
1984年 UEFAヨーロッパ選手権フランス大会: 優勝
1985年 アルテミオ・フランキ・トロフィー: 優勝
1986年 ワールドカップ・メキシコ大会: 3位
72試合41得点を記録し主将として49試合に出場
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